安田能元☆ | げむおた街道をゆく

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慶長19年(1614)11月26日、大坂冬の陣において、

豊臣方の鴫野要害を幕府方が攻め取った、鴫野の戦いが起こる。
 

ここで上杉景勝の部隊の安田上総介能元は、豊臣方の攻勢を退け、鑓を入れて突き崩し、

ついに大坂城まで追い込むという殊勲をなした。

所が安田能元は、直江兼続と年来関係が悪かったため、

将軍・秀忠より軍功の確認があった時、兼続の圧力で、
安田の名前は記載されなかった。

そのため安田の手柄は上聞に達せず、故に感状を下されなかった。

その後、景勝は御前に皆を呼び出し、こう、声をかけた。

「今度の鴫野合戦では、何れも精を出してくれ、満足に思う。

しかしながら流石輝虎(謙信)以来、武辺慣れした各々である。

私の方では気遣いすることもなく、危なげもなかった。」

ところがここで、安田能元は、

「皆々は幸運にも、手柄のこと上聞に達し、公方様より御感状を拝領いたしたそうで、

誠に目出度いことでありますが、
私は昔から数度の合戦に御奉公申し上げ、その武功は人を越えたことがあっても、

人に劣ったことは有りません。

その上で、今回程事を、私の武功として記載される事は有りませんでした。

これは今に始まったことではなく、
まるで珍しいことでは有りません。

この事について言っておくと、私に限ったことでは有りませんが、

我々は御屋形様(景勝)への御奉公として、身命を投げうって手柄を稼います。

これは公方様への御奉公では有りません。

ですから、公方様からの御感状など、少しも欲しいとは思っていません。

今までもお屋形様への御奉公に、命を捨ててきたのです。

御屋形様の、公方様への御奉公に問題ながければ、
御感状を頂いても、特に嬉しいとは思いません。」

そう、申し上げた。

直江兼続が奸佞であったために、このような事になったのだと、人々は言っていたそうである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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