甘糟景継☆ | げむおた街道をゆく

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上杉二十五将にも数えられた甘糟景継は、謙信に見出された剛勇の将であった。
しかし、関ヶ原の戦いの折、預かっていた白石城を伊達政宗に奪われてしまう。
以後、上杉景勝には冷遇されたといわれる。

これを聞き、実にもったいないと思ったのが徳川家康だ。
家康は自らの旗本に招きたいと思い、畠山下総守に勧誘させた。
景継は京の畠山屋敷に呼び出され、本多正純の書付まで示されて説得を受けた。
 

しかし、景継は頑として断り続けた。
「白石での失態は、すべて自分が悪いことです。
主君が怒るのは当たり前のことで、恨みに思うなどとんでもない。
上意はまことに有難く存じます。
しかし、どうかどうか、このまま譜代の主に仕えることをお許しください。」
景継はそう言い、涙を流した。
 

家康は、この話を聞いて感動し、

「だからこそ欲しいのだ。」

と悔しがった。

さて、どこから漏れたのか、景勝にもこの一件が聞こえてしまった。
景勝は感動などしなかった。逆に怒った。
「わしに隠れて、こそこそと畠山に会うなど、分を超えている。言語道断。」
以後、いよいよ甘糟を疎み、景継は不遇のまま死去した。
子らは甘糟家の相続の沙汰下らず、津軽へと流れていったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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