高力清長☆ | げむおた街道をゆく

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有名な、

「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛。」

の三河三奉行の一人・高力与左衛門清長について、

これは三河一向一揆の時のことである。

高力の家の領地、高力郷は、一向一揆の本拠地といっていい土呂郷の隣であり、
一揆の脅威の正面に在り、領内の騒擾甚だしく、

家康からは濫妨の禁止を命ぜられたものの、
一揆方よりの狼藉を止めることは難しかった。

そこで高力は思案し、高力郷中の仏像経巻を全て一ヶ所に集め、

安全な場所に保管した。

一向一揆が静まると、高力はそれらの仏像経巻を取り出して元の寺々に返した。
これに寺僧はもちろん、郷民たちも大いに喜んだ。

これより後、人々は高力清長の事を「仏高力」と呼ぶようになったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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