今川・武田・徳川に仕えた歴戦の武人にして苦労人、岡部正綱が亡くなった。
後継者の長盛は、16歳。
世間は、
「あんなお子様じゃ岡部の家名は荷が重いんじゃないの?」
と笑った。
この世評を憂慮した三人の岡部家重臣が集まった。
桜井縫殿助、
「今度の戦では俺たち三人の誰かが討死してみせなければ、
世間の評価は変わらんだろう。
だから俺は討死することに決めたよ。」
大塚八右衛門、
「いや。信玄公にも特別な旗印を許された俺こそが適任だろう。」
剣持次郎右衛門、
「俺だって信玄公からも家康公からも賞せられた男だ。俺が死ねば世間も納得するさ。」
三人とも亡き正綱に長盛を託された男たちである。
忠義も武勇も劣らない。
意地の張り合いで決着がつかない。
最終的に桜井が押し切った。
「この三人なら誰が死んでも世間は納得するだろ。
そもそも俺が言い出したんだからさ。
討死は俺に譲ってくれ。
二人は俺の分も長盛様を頼むよ。」
やがて小牧・長久手の合戦にて、宣言どおり桜井討死。
奮起した岡部軍は羽柴秀次軍を痛撃し、その武名を轟かせた。
桜井の死に様と長盛の武功の前に、もう誰も岡部家を侮るものは無かったという。
岡部長盛は以後も武名を上げ「黒鬼」とまで称されていく。
そんな彼の第一歩を飾った忠臣の話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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