大阪冬の陣、大御所・徳川家康は、仙波より順々に諸陣を巡視した。
これに伊達陸奥守政宗、藤堂和泉守高虎らが付き従った。
諸将は且つ迎え、且つ見送った。
石川主殿頭(忠総)の陣所を過ぎる時は、
ここの家臣たちが三河以来知る者多かったため、
皆に言葉をかけた。
馬喰が淵、阿波座、土佐座を乗っ取り、殊に高麗橋の戦功を賞賛し、
尚も巡視を続けていると、大阪城の兵たちが家康に気が付き、
この一行に向かって、鉄砲を雨のように撃ってきた。
この事態に家康の馬廻りも散り乱れ、御家人衆は御馬の七寸(轡)に取り付いて、
「あまりに鉄砲厳しく、御勿体なし!」
と申し上げた。
家康は最初、これに返事すらしなかったが、人々が強いて諌めてくるのを聞くと、
「運は天にあり!」
そう言ってさらに城の近くに進み、詳細に城の様子を観察し始めた。
この時、横田甚右衛門(尹松)が進み出た。
「ああ、いつもこの殿はこんな鉄砲激しい場所が好きですな。ならばそこを退き候へ。」
そして家康の馬の周りにいた近習の面々を追い払い、
「ここよりも西船場表(一説に信貴野)のほうが大変です。
城中より大鉄砲を揃えて、激しく攻撃されているために、
御味方は陣を成しかねぬ有様であると聞きました。
どうか、急ぎ御上覧あれかし。」
そう言って御馬の鼻先を西に向けると、
「そうか。ならばそっちを巡視しよう。」
こうして家康は西船場方面へと馬を進めた。
ところが西船場は城中より程遠く矢弾が全く来ない場所であった。
横田は武功有る故に、こうして鉄砲の急難から家康を逃したのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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