武田勝頼滅亡の端緒となった、高天神城後詰の一件。
主君に、
「高天神上の後詰は無用、捨て殺しにされよ。」
という書状を送ってひと月、城内の糧食も尽きかけた今、
甚五郎は、総攻めで城内に乱入した敵兵を如何に殺すかを考えていた。
城の図面に目を通す甚五郎の元に、同僚の相木市兵衛がやってきて耳元で囁いた。
「主将の岡部殿が、城を打って出るとのことでござる。」
「馬鹿なことを、城を枕に討ち死にすると評定で決めたはず。」
「それは、後詰がある時の話、後詰が見込めない今、飢え死に覚悟で籠城するより、
城外に打って出て華々しく死に花を咲かすもよし、
あわよくば、敵中を突破して命を拾うもよしとの仰せじゃ。」
「浅慮なことを、落城必死の今、一人でも敵を殺すのが我らの意地の見せどころのはず。」
気色ばむ甚五郎に、相木市兵衛が、さればでござると話を切り出した。
数日後、高天神城主・将岡部元信が、城兵と共に城を打って出て、
さんざんに奮戦したが、ほとんどの兵が殲滅された。
しかし、その中に横田甚五郎と相木市兵衛の名前はなかった。
両名は、最後の突撃直前に間道から城外に脱出していたのだ。
「ではお館様に、良しなにお伝えくだされ。」
そう言って躑躅ヶ崎館に向かう甚五郎に別れを告げ、相木市兵衛は本貫地の上州に向かった。
武田勝頼の前に帰還の報告を行った甚五郎は、高天神城からの脱出を賞賛され、
感状と太刀を授けられようとしたが、
おめおめと生き残った自分が受ける謂れはないと断った。
しかし、高天神城から一人だけ抜け出し、おめおめと生き残ったという汚名は、
生涯、甚五郎に付き纏い、
やがては逃げの甚五郎と大久保彦左衛門に嘲笑される羽目になるという、
横田甚五郎のちょっと悪い話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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