状況の判断が、薄かったので☆ | げむおた街道をゆく

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小田原征伐において、山中城が陥落した時、

こぼれ者共(牢人たちか)は多く松平周防守(康重)の手に加わっており、

彼らは頸百四、五十を得た。

 

彼らはこれらの頸を道にかけて通ろうと思い、

周防守はこれを牧野右馬允(康成)に相談した。

 

しかし牧野は、
「はかばかしい頸を取ったわけでもない。

雑人に頸をかけ置くなどというのは要らぬことだ。
結果的に見苦しくもなるだろう。

ただ頸の数だけ書き付けて、披露するのが良いだろう。」
周防守はこの意見に従った。

ところが、後で周防守の家来たちは、
「右馬允にだしぬかれた!

頸を一つづつ道にかけておけば、太閤秀吉が通った折、

大いに御感にもあっただろうし、諸軍勢の勇にもなっただろう。

全く要らぬことを意見しおって!」
そう、牧野の意見を批判したという。

しかし牧野は彼らを偽ったわけではない。

ただその時の状況の判断が薄かったので、
このような批判を受けたのであろう。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 上田城攻め、牧野康成

 

 

 

ごきげんよう!