姉川の戦いで奥平信昌は、二騎を斬ってその首を実検に備えた。
徳川家康が感心して、
「若年の小腕で寄功を奏したな。」
と言うと、信昌は、
「戦闘の道は剣法の巧拙にあります。筋力の強弱にはよりません。」
と答えた。
家康が重ねて、
「お前は誰に剣法を学んだのだ。」
と問うと信昌は、
「奥山流を学びました。」
と答えた。
「ではお前の家臣の急加斎に学んだのだな。私も若い頃はその流派を学んだが、
近頃は軍務が忙しいので久しく怠ってしまった。
こたび帰陣のうえは必ず彼を召して対面しよう。」
急加斎は奥平貞久の四男で孫次郎公重と称し、
上泉秀綱の門に入り神影流の剣法を学んで奥義を極め、
三河奥山明神の社に参籠して、夢中に秘伝の太刀を授かりこれより奥山流を唱える。
かつて家康はしばしば岡崎に急加斎を召して演習したが、
この後に信昌より召して重ねて急加斎に学び、
誓書を下して家臣に召し加えるとの御書を賜った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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