貞昌の勲功は、武士の模範☆ | げむおた街道をゆく

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長篠の籠城後、奥平九八郎貞昌が、徳川家康に召し出された。
 

家康は、

「貞昌は若年の身で、数日の間小勢をもって大敵を引き受け、
城を保ったこと、誠に例なき働きというべし。」

と、大いに感心した。

またその七人の家長等を召し出して今回の忠節を賞し、

「お前たちの子孫は、後代に至るまで見参を許す。」

と仰せ付けた。

 

今、奥平の家人が、
毎春謁見を給わるのは、この例に由来するという。

貞昌には知行が下されたほかに、姉川の戦いで、

家康が織田信長より授けられた大般若長光の御刀が下された。

 

また信長の意見により、
家康の長女・亀姫が貞昌に降嫁された。

その後、貞昌は岐阜へ参り信長に謁見した。

信長もいたく貞昌の功を賞して、

「貞昌の勲功は武士の模範である。よってこれからは”武者之助”と改名せよ。」

と言い、自らの一字を授けて奥平信昌と名乗らせた。
 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 長篠城籠城戦、奥平信昌

 

 

 

ごきげんよう!