大阪冬、夏の陣にて、甲州流軍学の祖として名高い小幡景憲は、
大阪城でスパイ活動をしている。
真田幸村と後藤基次が積極的に先制攻撃を仕掛ける事を軍議で発言した時、
反対したのが、この景憲と言われている。
だが冬の時点で、前田利常の家臣・富田越後守に仕え、
真田丸攻撃に参戦していた事から誤伝と伝えられている。
景憲が大阪城内に現れるのは大阪城冬の陣の和議以降のこと。
主家を退去した彼を大野治房が味方として招き入れ、
夏の軍議に参加したとされている。
彼の諜報活動と内部撹乱活動は幸村ら主要武将から疑いの目を向けられたが、
巧みな話術で偽装し、思惑通りに事を運んだと伝えられている。
大阪の陣後、その功を認められた景憲は、
幕府のお使番として1500石を与えられ、
「甲陽軍鑑」を編纂する事となる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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