二階堂盛義と言う武将がいる。
彼は蘆名氏、田村氏などと抗争を繰り広げた戦国大名であったが、
永禄9年(1566)2月、蘆名盛氏・盛興父子に攻撃により、
二階堂領の重要拠点、松山・横田両城が攻め落とされ、降伏。
嫡男の盛隆を人質として差し出し、
二階堂氏は蘆名家のもとに屈服した。
彼は、敗残者であった。
ところが世の中、どうなるか分からない。
天正2年(1574)6月、
蘆名盛氏の嫡男・盛興が、子を残さないまま死んでしまったのである。
盛氏は人質としてあった二階堂盛義の息子、盛隆を養子とし、
自らの後継者とした。
この時、盛義は蘆名配下の一領主から、次期当主の実父へと大きく立場を変えた。
こうなったらやりたい放題である。
蘆名氏の力を背景に、長年敵対した田村氏を攻め、
ついにこれを打ち滅ぼした!
負けたはずの二階堂氏の全盛期がいま、やって来たのである。
そして彼は幸せのまま、天正9年(1581)8月に没した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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