彦姫☆ | げむおた街道をゆく

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伊達晴宗の娘・彦姫の生涯。

彦姫は、晴宗の娘として、蘆名盛興の元に嫁いだ。
だが、子供がいないまま、夫・盛興は死去。
他に蘆名を継ぐべき男子は居らず、当主の座は宙に浮くことになる。

仕方がないので二階堂家から養子をもらって、
彦姫を盛興の父・盛氏の養女ということにして娶わせ、蘆名家を継がしめた。
 

彦姫の夫となったのは蘆名(二階堂)盛隆であるが、

彼の母親もまた伊達晴宗の娘、阿南姫。
つまり彦姫は甥っ子と結婚することになってしまった。

しかも10歳近く年下の甥である。
しかし彦姫は盛隆との間に数人の子供をもうけ、今度こそ幸せになったかと思われた。

が、不幸というものは続くもので、盛隆が衆道のもつれから、
家臣の大庭三左衛門に殺されてしまう。23歳の若さだった。

義父・盛氏も、もう亡くなっている。
蘆名家は、まだ赤ん坊の亀王丸(亀若丸)が継ぐことになった。

赤ん坊が当主となるという緊急事態に、彦姫の兄弟・伊達輝宗がすかさず介入し、
輝宗は亀王丸の後見となることに決まる。

同年、輝宗は、嫡男・政宗に家督を譲って隠居すると、
輝宗が亀王丸の後見になると言ったばかりなのに、
政宗は突如蘆名家に攻め入る。
 

彦姫は気丈に蘆名家臣をまとめ、頑強に政宗に抵抗。

政宗に敗戦を喫させた。

しかし不幸はさらに続き、わが子であり、頼みの綱であった亀王丸が3歳にて病死。
再び宙に浮いた蘆名の当主の座。
待ってましたとばかりにこの跡継ぎ問題に伊達と佐竹が介入し、
誰が跡を継ぐかで再び紛糾することになる。
 

結局、佐竹家から養子をもらうことになり、義広が蘆名当主となった。
ちなみに義広も彦姫の姉妹の子供なので、彦姫にとっては甥に当たるが、
この義広と自分の娘(亀王丸の姉妹)を娶わせることになった。

その後も伊達と蘆名・佐竹の争いは続き、
彦姫は血族に翻弄され続けた。
 

彼女は蘆名に留まったまま1588年に病死。

まだ30代の若さだった。

その後、義広は家中の心を掴むことに失敗し、
坂道を転がり落ちるように蘆名家は没落していく事になる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 蘆名家臣団

 

 

 

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