軍監の命なれば、是非に及ばず☆ | げむおた街道をゆく

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天正十四年十二月、豊後国戸次川合戦軍議での事である。
 

軍監・仙石秀久、戸次川を目の前にして発議して曰く。
「この川は九州一の大河にて頗る難所とは言え、大勢に切所はなし。

何ぞ恐るるに足らん。
いざ、諸軍一同に渡して一戦に勝負を決すべし。」
 

これに対し長宗我部元親曰く。
「この川を渡るのは殊の外面倒なり。

敵が川端に引いて備えるは堤の陰に伏兵あるべし。
川の半途で鉄砲を打ちかけられれば先陣は全滅し、

一陣敗れれば残りも全うする事は叶わず。
ことさら島津は大敵といい、強敵といい、最も侮りがたし。

殿下(秀吉)の戒めらるるは正に今日にあり。
しばらく川をへだてて対峙し、敵の虚実をはかって方便あるべし。」
 

十河民部存保もまた、諫めて曰く。
「敵は目に余る大軍で、この小兵をもって大河を渡り、

後詰(ごづめ)野戦するはもっての外なり。
守りを固め、敵が大河を越えて来たらば一戦し、また越えて来ねばかねて御定めの如く、

殿下の御出馬を待つべし。」
 

秀久、服せず曰く。
「昔より川を渡った者が勝ち、渡された者が負ける事少なからず。

早く川を渡れば人を制する利といい、
上方への聞こえといい、急ぎ渡し然るべし。」

この時、はるか前方に元親麾下の細川源左衛門がおり、

この勇士は四国のいくさにて高名を立て、
秀久も見知っていたのでこれを呼び、渡河の可否について述べよと命ずると、
「川向こうの小藪に伏兵あるべし。もし渡さば川中にて鉄砲うち掛けられ、

先手破れ後手敗軍とならん。
対陣し敵の動きを見て方便あるべし。」
 

これに対し秀久。
「治承の昔、足利又太郎(足利忠綱)は宇治川にて、

源頼政大勢にて防ぐと言えども遂に渡り済まし。
また後の元暦承久の合戦でも、川向こうの大勢を相手に渡すなり。

我等も見聞する所、川を渡り利を失う事少なし。」
 

源左衛門、曰く。
「昔は鉄砲なし今は鉄砲あり、いくさの様も変われり、ご思案あれ。」
 

秀久、曰く。
「各々方さほどに同心なくば、我等一手をもって後詰せん。」
 

ここに至りて諸将は無謀の策を喜ばざりしも、軍監の命なれば是非に及ばず、

また味方を捨て一人身を全うするもならず、
三軍和せざるは敗軍の兆しなりとてその議に従い、

一同渡河の準備に取り掛かった。  

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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