主君・那須資胤に、処断されそうになった高増は、
佐竹義重に助けを求めた・・・というのが大筋の流れであるが、
それ以降の高増は、驚くほどの迅速さで、
資胤陣営の、調略による切り崩しにかかった。
福原家は、かつて資胤の弟である資郷が入っていたが、
資胤の那須家督相続時に資郷が森田氏に入嗣したので、
高増の弟・資孝を滑り込ませる事に成功しており、
まだ日が浅く資郷派も残っていたので掌握は完全ではなかったが、
福原家はこの戦いで、資郷派と資孝派に分裂した。
そして、伊王野家であるが当主資宗の母は大田原資清の娘であり、
また前当主伊王野資直は大田原資清と懇意だった事もあって、
こちらの調略にも成功している。
続いて蘆野家であるが、こちらは那須資胤の妹婿であったものの、
地理的に那須家に味方しにくく、
去就を決めかねていたが、
高増はそれを知るやすぐに駆けつけ、資泰の嫡男に娘を嫁がせることを約束して、
味方に引き込んだ。
これによって那須七騎で完全に資胤陣営に残ったのは那須を除けば千本家のみで、
あとは割れた福原や、大関家を乗っ取った高増を憎む大関家の古参ぐらいであった。
そして、七騎以外では稲沢家という小さな家があったが、
こちらは伊王野家とよく行動を共にしていたので、
芋づる式に引き込みに成功し、
金丸家も当主・義直が、資胤に味方する事を決めたが、
一門の金丸資満は大関高増の娘を娶っており、
高増が資満に働きかけて金丸家中を混乱させ、
結局金丸家も高増に与すものが出始め、分裂状態となった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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