大関高増の逆心☆ | げむおた街道をゆく

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下野国那須家には、党七騎(那須七党)と称する旗本が有った。

いわゆる大関、大田原、芦野、福原、千本、伊王野、岡本である。

 

中でも大関右衛門佐高増は智謀に優れ、七党の中でも抜きん出て、

那須家の柱石とも成っていた。

 

しかし先年の小田倉原の合戦に先陣を切って手柄を立てて以来、

党の他の輩からの高増に対する妬みが増し、

一方の福原弾正左衛門資経(那須資郡・那須資胤の弟)の功のみを吹聴するので、
高増はそれが面白くなく、病と称して出仕しなくなった。

那須資胤はこれを怒り、また出る杭は打つに限ると思ったのか、

大関の家人・松本美作守を呼び、
密かに高増を殺すように命じた。

 

松本はやむなく了承して黒羽城へ戻ったが、その一部始終を高増へ語り、
御屋形様の命であり、これを断っては即座に誅せられると思い引き受けた、

と言った。

大関高増はこれを聞くと、
「罪なくして亡ぼされるのは無念である。そもそも殺す理由が不確かででたらめである。」
そう憤り、逆心を起こした。
 

彼はすぐに常州の佐竹義重に援軍を頼み、鳥山の那須資胤を攻撃することにした。

この時、佐竹と、那須資胤を殺し、その二男である三郎義宗を迎えて、

那須家を継がせる内約を取っていた。

以後、黒羽の城に立て籠もって三年間、すなわち永禄六年の三月下旬より永禄九年夏まで、

鳥山と何度も繰り返し戦った。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 那須七騎筆頭、大関高増

 

 

 

ごきげんよう!