浅野長政☆ | げむおた街道をゆく

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小田原陣の後、正式に十八万石の豊臣家諸侯となった宇都宮国綱。
ところがその国綱に、豊臣政権との繋ぎ役である浅野長政がこのような事を言ってきた。

「息子の長重を、世継ぎとしてあなたの養子にしてほしい。」

これには宇都宮家家中で猛反対が起こった。

当然である。

宇都宮家と言えば鎌倉以来の名門。
それに、浅野などという、どこの誰とも知れない者の子を当主にして良いものか。

結局、国綱はその話を断った。

さて、太閤検地が行われる。
宇都宮氏の領地の検地は、浅野長政が担当した。
すると、なんということだろう、宇都宮氏の石高は、表高の十八万石に対し、
倍以上の三十九万余石が計上された。

「これは宇都宮氏の所領申告に、不正があったのだ!」

国綱は豊臣政権の摘発を受け、慶長二年(1597)九月、秀吉の命によって改易とされた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 継嗣が無く、宇都宮国綱

 

 

 

ごきげんよう!