宇都宮家滅亡☆ | げむおた街道をゆく

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宇都宮下野守国綱は、代々下野宇都宮十八万石を領し、関東にて豪家の一つであった。

しかるに慶長十二年十二月二十三日に無嗣のまま卒去。

これまで宇都宮に無嗣の場合、
庶流多賀家よりこれを継ぎ、多賀に子が無い場合は、

宇都宮の庶子を遣わして継いだ。

今度はこれに反し家老・神野川与左衛門は、

密かに正安らと相談して、

浅野弾正三男を養子として家名を立てようとした。

多賀はこれを聞いて大いに怒り、正安がこの事を談合する為に、

上方へ登ったのに追っ手を遣わし正安を殺害し、

神野川与左衛門の元へも討手を送って屋敷を取り囲んだので、
与左衛門は思うさまに戦ってから切腹した。

この事を家康公が聞かれ大いに咎められ、

多賀には切腹を仰せ付けられ、宇都宮の所領は没収となり、

永く続いた家名が断絶した。

かの家の祖、栗田関白道兼公の玄孫宇都宮宗円以来、

代々弥三郎下野守を称し数百年、
宇都宮の領主であったが、この時一朝にして滅びたのは無情のことであった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 継嗣が無く、宇都宮国綱

 

 

 

ごきげんよう!