慶長の頃、狩川の水馬鹿北館利長は、最上義光の後ろ盾を得て、
月山から狩川への潅漑用水堰を掘削していた。
残す工事もわずかとなったが、難所がいくつか残り、
山地の迫る急傾斜地の清川御諸皇子神社付近で事故が起きた。
掘削地が地滑りを起こし、工事に携わっていた16人の人夫が生き埋めとなった。
利長、
「ここまで死者を出さずに済んでいた工事に、神も気を許し目を離されたか。」
利長は死者を弔い、16人の役目に殉じた人夫の数にちなみ、
この先16代に渡り、北館家内で大々的な祭事は慎む旨を、
神前に誓ったと言われる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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