しばらく前の事、神奈川県に在住の旧伊達家家臣の末裔の方が、
青葉城資料館に寄贈した百通余りの書状の中に、
新発見となる最上義守の書状が、4通含まれていた。
書状は隠居した最上義守が、伊達家に出したもので、
義光に家督を譲ったものの、
義守、
「義光に家督を譲ったのは時期尚早であり誤りだった。
天童八楯と揉め事を起こそうとする義光を、おとなしくさせたい。
言う事を聞かないなら、義光を討つのも仕方ない。」
と、義光にとってはかなり物騒な内容であり、
「義光を討つか追放して、最上家の当主に戻りたいから、
機会が来たら是非に力を貸してほしい。」
とも書かれていた。
実際には、伊達輝宗があまり積極的に最上家の内紛に介入しなかったために、
白鳥長久の仲介で、最上義光と輝宗との間に休戦約定が結ばれ、
義守の家督復権には至らなかった。
書状は最上義守が50代、義光が25才頃のものと見られている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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