義守、危篤の床で☆ | げむおた街道をゆく

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天正11年、最上義守が、大病をわずらって危篤状態におちいった。


そのとき彼は、義光や義姫を枕元に呼び、

大勢の重臣たちが居並ぶところで訓戒をあたえた。


「今自分が亡くなったなら義光と輝宗が仲たがいして、

合戦をはじめるのではないか。
これだけが心にかかることだ。
最上と伊達がいくさをして、例え輝宗が勝ったとしても、

最上の主人になることはできまい。
逆に義光が戦いに勝ったところで、

奥州を手に入れることはできないだろう。
おまえたちのような小さな大名が、身内同士仲たがいをしたら、

他の大名がとくするだけだ。
最上も伊達も関東の佐竹や越後の上杉に討たれてしまうだろう。
ただし、両家が仲良くしているならば、

佐竹・上杉が一つになって攻めようとも、没落することはないはずだ。
氏家・志村よ、おまえたちもこのことをしっかり胸におさめて、

けっして背いてはならぬ。」
ところが、あやうく見えた義守は、医薬のかいあってかほどなく快復する。

八日町浄光寺の伝えでは、日蓮宗の旅の僧日満上人の祈祷が、功を奏したとされ、
これに感謝した義光が、

一万坪の寺地と伽藍を建立したのが同寺の始まりだとしている。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 嫡男・義光との確執、最上義守

 

 

 

ごきげんよう!