古来より、主人の馬を戦場で放つ時、
主人が討ち死にしたのではないことを示すため、
尾を切り鐙を外すのが礼であったという。
国府台の合戦の時、里見義弘に安西伊予守が自分の馬を奉って、自身は歩行して供をした。
しかし義弘の馬は鞍鐙をつけたまま陣中を駆け回ったため、これを見た兵たちは、
「さては義弘討ち死にか。」
と思い、これによって敗勢となり、随兵の過半が討ち死にを遂げたという。
物事の究理薄いと、思わぬ失があるものなのだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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