1560年頃、安房・上総の西沿岸部は、
舟に乗って東京湾を渡ってきた盗賊たちが跋扈しており、
夜中に民家や寺院に押し入り、放火や略奪、強姦など狼藉すること限りなかった。
盗賊と言えど身を立派な武具甲冑で固めた者たちなので、
恐らく北条氏の水軍衆だったのだろう。
当時、既に家督を嫡男・義弘に譲って隠居の身となっていた里見義堯は、
領民の惨状を聞いて驚き、洲の岬、滝山、明ケ根の三か所に物見櫓を建てると、
昼夜問わず湾に近づく船を片っ端から改めることとした。
しかしそれでも闇夜に紛れて小舟で乗り込んでは、民家を襲う者が絶えなかった。
物見櫓から賊を見つけても、里見の武士団が到着した頃には、
小舟でさっさと逃げ帰ってしまうのである。
これには房州中の武士たちが怒り、岡本城という湾に面した小城を大改修し、
賊に備えることとなった。
岡本城が完成するとここに里見義弘が入った。
そして先に築いていた物見櫓と狼煙を使って連携し、
賊が現れようものなら城より番士組という警備隊が出動、
これを撃退することに成功した。
元亀年間(1570年代)には、
かつての乱暴の煩いは嘘のように消え、房総の人々は戸閉まりを忘れるほどだったという。
盗賊を一掃した主君の恩を想い、民は万年君と称えた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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