秀吉公は返事無く、家康公も御言葉は無かった☆ | げむおた街道をゆく

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岡野紅雪(板部岡江雪斎)という人あり。

これは現在の岡野孫九郎(貞明)の先祖である。

この紅雪は小田原北条の旗下であった。

 

小田原落居の時に紅雪は生け捕りで縛められ、秀吉公の御陣にいた。

秀吉公は仰せられて、

「そもそも真田御陣の時、この岡野は表裏第一にして不届き者であった!
磔にも致したい者である!(真田御陣の時の)様子委細を尋ねよ!」

と、御使をもって尋ねなさった。

 

紅雪は曰く、

「この事は人伝では中々申されぬことです。直に申し上げたい。」

とのことで、縄を取って引き立てた。

これを秀吉公は聞こし召され、

「苦しからず。」

と御前へ召し出されて一々を御尋ねなさると、
一々を申し開き仕ったので、

命を御助けなさり、御咄衆になっておられたという。

ある時に京都において能を御興行の時、家康公が秀吉公へ仰せられて、

「小田原の北条は関八州の大将ですが、

長く城も持ち堪えられず幾百日ばかりで落城しました。
降参していれば、このような時に御物語りの相手にもなるだろうに、

不甲斐なく百日ばかりで落城したのは心残りの多いことです。」

と仰せであった。

 

その時に、紅雪は末座にいたのだが罷り出て申し、

「天下の人数を引き受けた北条なればこそ、百日持ち堪えたのです。

そのうえで第一の頼みに存じていた家康公が見放し申し上げなさったのですから、

やり様もないことです。」

と申した。

 

その時、秀吉公は返事無く、家康公も御言葉は無かったのだという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 仁義の道ありて、板部岡江雪斎

 

 

 

ごきげんよう!