戦国時代、八丈島は延徳年間(15世紀末)に、
伊豆国賀茂の地頭・朝比奈知明が訪れ、
「この島は末代まで伊豆の領域である。」
と宣言して、北条氏の支配下に置かれた。
知明はこの功により、伊勢宗瑞から下田港を知行として授かったが、
この下田出身の板部岡江雪が、
北条氏政の命で伊豆七島等の差配を任され、
八丈島に向かい、その風俗を報告した。
『離島のことであるから万事気にかけず、島民もさぞ卑しかろうと思っていましたが、
そんな事はなく、
ことに女性は色白で黒髪を長く伸ばし、その艶やかさはたぐいまれでありました。
気立ても優しく、上等な絹織物を重ね着して着こなし、
立ち居振る舞いも落ち着いておりました。
普通の女性は化粧を為し、まゆずみを施して男に媚びますが、
八丈島の女は習慣で化粧をしません。
女性は絹を織ることを家業としており、一日中忙しく働いています。
本土からの土産として草紙などくれてやると、何よりもこれを大切にしていました。』
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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