上総の真里谷武田氏は、原氏や千葉氏に負けてばかりであった。
そこでこの状況を打開せんと、
古河公方高基の弟・足利義明を大将軍として軍兵を催した。
この義明は、累代武将の家に生まれ、心はどこまでも大胆で、恐れを知らず、
力強く骨太で武器に熟達した当代無双の英雄である。
そのため、上総・下総・房州の辺りで管領に背いた輩は一人残らず馳せ来たり、
義明に従った。
その勢いは近国を覆い、三年の間に原氏は敗れて小弓城を奪われた。
その後、高城越前守父子を討ち取り同下野守を追い落とし、
原野次郎をも討つと、近国の兵共は我も我もと群がって付き従った。
安房の里見氏は、猛勢の大将であったが、何を思ったかこれもまた義明に従った。
義明は血気無双の人なので、やがては関八州をその手にし古河公方を配流して、
鎌倉に御所を立て、関東の公方になるという野心を抱いていた。
彼はこの志を公言することを思いとどめようとしても、
すぐに表情に出して、ほのめかすので、
付き従う血気の若者たちは、皆その願いが叶うようにと励んだ。
そのような情勢だったので古河公方に一味する人々は心穏やかではなかった。
北条氏綱も足利晴氏の舅なので内心苦々しく思っていたが、
大敵の上杉と敵対していたので義明とは無事を保ち、
互いに使者を交わして捧げ物を送ることもあった。
これも一時の智謀である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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