和菓子の外郎(ういろう)☆ | げむおた街道をゆく

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相州小田原における北条氏綱の政道は、無私にて民を慈しんだので、

近国他国の人民は、その恵みに懐き移住し、

津々浦々の町人職人が遠隔の西国や北国からも群来した。
 

そのため小田原の街は、古の鎌倉もどうしてこれ程だろうかと覚えるほどに発展した。

東は一色より板橋に至るまで、その間約一里に商店が密集し、数多の売買を行っていた。
山海の珍物、琴碁、書画や細工に至るまで、無いというものは無かった。
異国の唐物で、未だ目に見たこともなく、まして聞いたこともないような器物が、
幾つと言うことも無いほど積み置かれていた。

このような交易の売買で利潤を得た者は、四条、五条の辻にも溢れ、

民のカマドも豊穣と成り、東西の業も繁盛した。

小泉という人が小田原の町奉行に任命されたが、彼は賞罰が厳重で堪否を知り、

理非分明で物の正否を糺したので、不正に嘆く人もなかった。

そのような中、京都より外郎という町人が来て様々な薬を商った。

なかでも透順香という霊薬は、
長生不老の薬であると言って、氏綱にも進上されることと成った。
 

そこで町奉行の小泉がこの町人を伴って登城した。
氏綱の御前において、
「かの薬の効能は測れないほどです。

先ず第一に口中の臭気を除き、眠気を取り、命を延ばします。」
と言上した。

そこで外郎が申し上げるには。
「この霊薬は、唐においては仙家の秘薬ですが、我が先祖が代々これを伝えていました。
そして鎌倉建長寺の開山大覚禅師が来朝する時、お伴して本朝に渡り、

以後この国に居住しております。」

氏綱はこれを聞くと、
「誠に珍しい貴物である。今後小田原に居住するように。」
と申し付け、明神の前の町家を与えた。

今の小田原の外郎の店はこれの事である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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ごきげんよう!