永正9年(1512)のこと。
相模の国、相模野の大庭城に、北条早雲率いる軍勢が攻め寄せた。
が、大庭城の周辺は一面の沼地であり、
さすがの早雲も攻略の糸口すら見つけられなかった。
「あの沼地を何とかせねば。どうにか水を引かせることはできないか?」
しかしいたずらに軍議を重ねるだけで、日は過ぎていった。
そうして困り果てていた北条軍のある武将が、
ふと、城の対岸で牡丹餅を売っていた老婆に相談してみると、その老婆。
「そんなの、わけも無い事ですよ。
大庭城は堤を作って城の周囲に水をためているのです。
その堰を切れば、水はたちまち干上がりますよ!」
武将は大いに喜んだ。
が、老婆の口からこの情報が他に漏れるのを恐れ、
その場で切り殺した。
そして早雲の軍はその夜のうちに堤を崩す。
すると城の周囲の水はたちまち引き、
早雲の軍の総攻撃に、さしもの大庭城もついに落城した、とのことである。
さて、殺された哀れな老婆は、土地の人たちに大庭城の近くに葬られ、
そこに地蔵が祭られた。
その地蔵は『船地蔵』と呼ばれ、今も土地の人々に、大切にされている。
そして老婆が牡丹餅を売っていた場所は、
それ以後「だんごくび」と、呼ばれたと言う事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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