伊勢新九郎長氏は、子供の頃から武芸に励み、
家を興し父母の名を後代に残さん事を工夫し、
備中国吉備津大明神に願をかけ、三七日(21日)参籠が満るその夜、
夢のなかに、
『東国に行き給え、御剣を遣わすであろう。』
と顕れたため有難く思い、東国に向かうとその途中、
華表の傍にて旅人に行き会った。
彼が申すには、
「私は路銀が無くなってしまい、大変難儀しています。
この刀を差し上げますので、
代金を頂けないでしょうか?」
新九郎は、
『夢に出た御剣とはこの事である。』
と悟り、刀を買い取り三度押し頂いた。
それから武者修行を思い立ち、近郷にて名家の子息、内藤、笠原、二階堂、大道寺、
松田、井上、平井といった勇士30人が新九郎に同道して、諸国に武者修行に出た。
そして数度の戦功があった後、駿河太守の妻は新九郎の叔母であったため、
駿河に下り扶持を請け、新九郎は大気者であるとの評価を得て、興国寺城番大将となった。
延徳年中に堀越城主・足利茶々丸を攻め取り、城主となる。
その後、相模国小田原城を乗っ取り、
姓名を改め北条早雲瑞公となり、関八州の太守と成られた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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