大坂の陣において、堀尾山城守(忠晴)の寄せ口の備えを、
上杉景勝の家臣である杉原常陸介(水原親憲)が見て、
「堀尾の備えは後ろから崩れるだろう。裏崩れというやつだ。」
そう言ったが、果たしで後ろのほうが騒ぎ立てた。
これは、杉原が堀尾の備えにおいて、馬を近くに引き付けていたのを見て、
もし馬に鉄砲が当たれば馬は必ず跳ね合う事から、
これで騒ぎが広がり裏崩れに成る、と見て摂ったのである。
その後、堀尾の持ち口を上杉景勝に渡して陣替えをするように、との将軍からの命があった。
この時、景勝方より軍使を以て、堀尾方に、
「道を作って陣地を渡すように。」
との申し入れがあった。
これによって堀尾方は道を作って陣地を明け渡したが、
景勝の軍勢は、これを見て罵倒した。
「上方衆は、弓矢の事に巧無き者達だ! こんな道の付け方があるものか!」
そう声高に言い放ったが、堀尾の衆に、これについて返答をするものは居なかった。
これは、堀尾の者たちは通常のように、往来しやすいよう道を作ったのであるが、
景勝方の人々にとってこの場合の道とは、敵の攻撃から身を守り、
負傷者が出ないように作られるもの、だったからである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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