はげた鎧では見苦しい☆ | げむおた街道をゆく

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大坂冬の陣により、幕府は諸大名に出陣を命ず。
 

時に米沢の上杉景勝家臣・杉原(水原)常陸介親憲は、大変悩んでいた。

「私には先祖伝来の鎧一領しか無く、これは数度の合戦に着古した物の具である。
国元の坪軍(小さな合戦)であればこれで構わないのだが、

今度、両御所様は二条伏見に御在城であり、京に着到した軍兵は皆、

野路、篠原、石部、坂本より華麗な物の具を着けて入京する、との風聞である。

はげた鎧では見苦しい。

どうするべきか…。」

これを同僚たちに相談すると、
「我々は、一手の物頭でさえ替えの鎧を持っておらぬ。

田舎であるから、鎧を借りると言うことも出来ない。

常陸介殿は機転のある人だから、何とか上手く考えてほしい。」

そこで親憲は、猿楽の能装束の法被を具足の上に着て、摂津まで罷り立った。

さて、大御所様(家康)は、親憲の姿をご覧になり、

「上杉はさすが古い家だ、常陸介の武具立見事である。
古風にも紺地に綿の鎧直垂を着ている。

皆々、後学のためあれを良く見ておけ。」

と言われ、天下の話題になったのも不思議なことだ。

さて、親憲はこの戦いで感状を拝領したが、それを頂いて帰る時、
「しかし思いもよらない物を貰ってしまった。

今回の摂州御陣は、子供が喧嘩して礫を投げ合うのと同じようなものであり、

互いに恐ろしい事など何もない。

昔、関東北国において、今死ぬか、明日死ぬかと思うほど激しい合戦に、

朝も晩も戦っていた時には御感状頂いたことは無かったのに、

今回のような礫の打ち合いのような戦で、

公方様(秀忠)からの御感状を取ってしまったわ!」

そう、大笑いしたそうである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 子供の石合戦如き、水原親憲

 

 

 

ごきげんよう!