紀州和歌山で失火があった時、
家老・久野和泉守は、預かりの櫓へと人数を上らせ、
「一人でも降りるものは切り捨てにすべし、消防できずば、皆焼死せよ!」
と下知して、
自分も家人も、あちこちに怪我はしたが、櫓は無事に残した。
この働きを、和歌山中の者は、貴賤ともに賞賛しない者は一人も無かった。
しかし頼宣卿は、何とも仰せられず、その他にあちこちで火を防いだ者にも、
一言の御意もなかったので、家老を始め下々の者まで不審に思っていた。
それより二、三年過ぎて、御近習の士を集めてお話になられていた時、
火事の話になり仰せられたのは、
「失火の際に消防に身命を軽んじて働くのは、血気の勇で、真の義勇にはあらず。
ただ智が足りないだけだ。
火は無情のもので、天気が乾いて風が烈しい時は、
なかなか人力の及ばざるものだ。
ただし水がよく行き届く時は消防も行き届くが、
もし水が行き届かない時は家屋はもちろん、人まで焼亡してしまう。
どうして家屋が燃えつきる事を厭って、人を損ずるべきであろうか。
これは無智の勇にして、ただ血気の勇である。
いかなる金殿玉楼であろうとも、人には替えられない。
家は幾度消失しても、また元の通りに造れるが、
家人一人を損じたら、その家人はもう戻ってこない。
失火の為に我が大切な軍兵を失えば、それこそ不自由というものだ。」
と仰せられた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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