火事の話☆ | げむおた街道をゆく

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紀州和歌山で失火があった時、

家老・久野和泉守は、預かりの櫓へと人数を上らせ、
「一人でも降りるものは切り捨てにすべし、消防できずば、皆焼死せよ!」

と下知して、
自分も家人も、あちこちに怪我はしたが、櫓は無事に残した。

この働きを、和歌山中の者は、貴賤ともに賞賛しない者は一人も無かった。
 

しかし頼宣卿は、何とも仰せられず、その他にあちこちで火を防いだ者にも、

一言の御意もなかったので、家老を始め下々の者まで不審に思っていた。

それより二、三年過ぎて、御近習の士を集めてお話になられていた時、

火事の話になり仰せられたのは、

「失火の際に消防に身命を軽んじて働くのは、血気の勇で、真の義勇にはあらず。
ただ智が足りないだけだ。

火は無情のもので、天気が乾いて風が烈しい時は、

なかなか人力の及ばざるものだ。
ただし水がよく行き届く時は消防も行き届くが、

もし水が行き届かない時は家屋はもちろん、人まで焼亡してしまう。

どうして家屋が燃えつきる事を厭って、人を損ずるべきであろうか。

これは無智の勇にして、ただ血気の勇である。

いかなる金殿玉楼であろうとも、人には替えられない。

家は幾度消失しても、また元の通りに造れるが、

家人一人を損じたら、その家人はもう戻ってこない。

失火の為に我が大切な軍兵を失えば、それこそ不自由というものだ。」

 

と仰せられた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 南龍公、徳川頼宣

 

 

 

ごきげんよう!