八王子の大猪退治☆ | げむおた街道をゆく

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徳川家光の御代、武州八王子村に巨大な猪が出て、

田畑を荒らし、また人をも踏み倒し、農民たちは難儀に及んだ。

 

幕府は御先手に仰せ付け鉄砲でこれを討とうとしたが、その走ること至って速く、
終に討ち留めることが出来なかった。

そんな中、紀伊大納言・頼宣卿は猪狩りが好きでその巧者である事、

将軍家も聞き及んでおり、
彼が登城の時に、この八王子の大猪の話題が出、頼宣卿にこの退治を依頼された。
 

頼宣卿はこれを忝なくお請けし、退出するとそのまま直に八王子へと出掛け、

所の名主年寄りたちに支度を申し付け、それから帰館して、

家中に触れを出して皆々に用意させた。

そしてこの事は尾張、水戸の両家にも聞こえ、両家よりそれぞれ優れた猟犬が進ぜられた。

さて、猪退治の当日となり、頼宣は夜明けから出立し八王子に至った。
頼宣卿は床几に座り、焼飯を盛った三方を前に置き、

水戸殿より進ぜられた犬を召し出し焼飯を与え、

「汝、得たる所であれば、隠れ居る猪を探しだすのだ。」

そう語りかけると、犬はしばらく頭をうなだれていたが、やがて頭を上げて山の方に向かい、
尾を巻き上げて一目散に走りだした。
 

暫くあって大猪が、山の方より荒れ狂って走り来た。

かの犬は猪の前後左右を走り廻り、飛び付き噛み付きながら共に走り来た。

列卒はこれを見ると他の犬10匹ばかりを猪にけしかけ、

かの犬は傍に引き退かせて水を飲ませ焼飯を食わせて休息させた。

しかし、大猪は大勢の犬を事ともせず、あちこち暴れまわった。
 

ここで頼宣卿は下知を下し、尾張殿より進ぜられた犬を放すと、

やがて猪の元へ走り行き、その喉元に噛み付いた。
大猪はそのまま暴れ廻ったが、次第に弱り、人を踏み倒す勢いも見えなくなったため、
頼宣卿は下知して家士達に槍を持たせ猪に向かって駆けさせせ、終に大猪を仕留めた。

その時、あの犬を見ると、猪の喉に噛み付いたまま息絶えていた。

頼宣卿は、

「あたら犬を死なせてしまった!」

と甚だしく嘆き惜しんだという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 南龍公、徳川頼宣

 

 

 

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