遅しとあるは、上意とも存じ奉らず☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

大坂陣の時、4月末に二条城へ徳川秀忠が入り、徳川家康と相談して、

大坂表での戦闘について取り決めた。

 

この時、14歳の徳川頼宣は御前へ出て、

「御先手を仰せ付けてくださいませ。」
と望んだ。

 

 

これに家康は機嫌よく、
「もっともな望みだが、大坂表は将軍が先手を致されるので御気遣いなさるな。

大和・紀伊・和泉・河内の地侍どもは皆々秀頼へ一味し、

攻め手の後ろより襲われるかもしれないので、

後陣が心許ない。

義直と其の方と永井右近(直勝)や安西組は後陣に控えて、後ろからの敵を切り崩せ。」
と、言ったので、頼宣はやむをえず退出した。

(中略)

頼宣が茶臼山へ上ったところ、家康は床机に腰をかけ、秀忠は敷皮にいた。

そこへ出た頼宣を見た家康は、

「合戦があったのに今になって参ったのか。遅い!」

と言った。

これに頼宣はこらえずに、

「これを思っていたからこそ、二条の御城で御先手を望みましたのに、
それを御許容なされず後陣に御置きなされて遅いとは、仰せとも思えません。」

と恨み申し上げた。
 

これに家康は困って、

「わしの誤りであった。其の方が道理じゃ。」

と言った。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 南龍公、徳川頼宣

 

 

 

ごきげんよう!