大坂陣の時、4月末に二条城へ徳川秀忠が入り、徳川家康と相談して、
大坂表での戦闘について取り決めた。
この時、14歳の徳川頼宣は御前へ出て、
「御先手を仰せ付けてくださいませ。」
と望んだ。
これに家康は機嫌よく、
「もっともな望みだが、大坂表は将軍が先手を致されるので御気遣いなさるな。
大和・紀伊・和泉・河内の地侍どもは皆々秀頼へ一味し、
攻め手の後ろより襲われるかもしれないので、
後陣が心許ない。
義直と其の方と永井右近(直勝)や安西組は後陣に控えて、後ろからの敵を切り崩せ。」
と、言ったので、頼宣はやむをえず退出した。
(中略)
頼宣が茶臼山へ上ったところ、家康は床机に腰をかけ、秀忠は敷皮にいた。
そこへ出た頼宣を見た家康は、
「合戦があったのに今になって参ったのか。遅い!」
と言った。
これに頼宣はこらえずに、
「これを思っていたからこそ、二条の御城で御先手を望みましたのに、
それを御許容なされず後陣に御置きなされて遅いとは、仰せとも思えません。」
と恨み申し上げた。
これに家康は困って、
「わしの誤りであった。其の方が道理じゃ。」
と言った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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