予が十四歳の事が複あるべきか☆ | げむおた街道をゆく

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慶長二十年(1615)五月七日、大坂夏の陣。

 

徳川頼宣卿は、大御所(徳川家康)の元に向かうため、
頻りに諸軍を進めていたが、喉の乾きを凌ぎかね、馬上より水を乞われた所、

三浦長門守邦時の付け人である柾木清兵衛という者が、

馬柄杓にて水を汲んで差し出すと忽ち飲んだ。

大御所に御対面されると、大御所は頼宣卿の髪を撫でられ、
「今日は、その方等に首を取らせる事が出来なかった。残念である。」

と仰せになった。

頼宣卿、答えて、
「御先手を承らなかった故に、詮無き道に刻を移し、戦に臨めなかったこと、無念至極です。」
と申された。

これを聞いた松平右衛門太夫(正綱)が、
「今日、手に合わすことが出来なかったとしても、

御若年なのですから、今後、幾度も合戦に遭うでしょう。」
と慰めたのだが、

 

頼宣卿は、
「私が十四歳のこの時は、再びは無いのだ!」
と、頻りに落涙あって、怒り給いけるとかや。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 南龍公、徳川頼宣

 

 

 

ごきげんよう!