大坂夏の陣の時、成瀬正成は、徳川義直の付家老として従軍していた。
一方、徳川家康は茶臼山本陣から下を眺めて、
敵勢がいたのを確認した。
家康は敵勢を討つべく息子の頼宣、義直を呼んだ。
しかし義直がなかなか到着しない。苛立った家康は伝令を差し向けた。
尾張勢のもとに来た伝令は家康の、
「正成め臆病風に吹かれたか!
なぜ早く義直と一緒に来ぬのか!
さっさと来いと伝えてこい!」
という言葉をそのまま、しかも大声で伝えたので周りにいた者にも、
聞こえてしまった。
これを聞いた正成は間髪入れずに、
「なんと、私が臆病だったことなど一度としてないわ!
あなた様こそ、
三方ヶ原で武田信玄を恐れて腰を抜かされたであろう!」
と怒鳴って反論した。
その後、正成は家康に、
「義直様が遅れられたために、
御前は伝令を通じて私をご批判なさいましたが、
私は心やすくお仕えしてきましたので、辛辣なご批判をしてくださって結構です。
ですが、御前のお言葉を家臣たちの前で、
そのまま大声で伝えるような考えの足りない人間に、
重要な伝令を任せるのは如何なものでしょうか。
義直様はまだお若く、私を頼りになさっております。
ですから、私のご批判は慎重になさってください。
多くの家臣たちの前で臆病者と言われては、私の面目が潰れてしまいますので。」
と申し上げた。
家康は、
「お前がわしを臆病者と言ったことは全く気にしておらぬ。
お前は弓矢の道というものを、少しはわかっているな。」
と言ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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