大坂の陣が調停となって堀を埋めた時、豊臣秀頼より、
女中方が使いとしてやって来て、
「堀の埋めさせられようは、どのように致しましても、
御情けのなきなされようでございます!」
と、恨み申し上げた。
徳川家康にしても秀忠にしても応対しかね、老中も返事を申しかねたので、
女中方はますます激しく、恨み深く申していたところ、
成瀬隼人(正成)が女中の傍へと近寄り、
「おやおや、こなたは女中であるのに、よくものを申される人ですねえ。」
と言って、女中の尻をつねった。
女中はこれに困って赤面し、言葉を発することができなかったそうである。
この事は、「時に臨んで功者な手段」と言われたとのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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