成瀬隼人正の父・吉右衛門は、
関ヶ原の後は伏見にあり、隼人正は駿府にて御政道に加わり、
奉書を成す役人となり、父・吉右衛門もこれを賞した。
出世をした隼人正の方より、時折黄金などが伏見の父のもとに送られてきた。
吉右衛門はこれを取ると、自宅の居間の天井より網を下ろし、この金をからげ置き、
客人が来るとこのように言った。
「これを見給え。この金子にて肴(食事)を調えよと、隼人正より送ってきたのだ。
しかし、肴が食いたく成る度にこの金を見るのだが、それだけで肴を食うに勝るのだよ。」
大阪冬の陣の講和が整うと、伏見城に隼人正の二人の息子が、
祖父・吉右衛門に逢いに来た。
吉右衛門は彼らに言った。
「この度は別状無く扱いになったが、おっつけ御合戦となるだろう。
ならば侍の重宝とは馬に如かずという。
江戸が広いと言えども、金二十枚に及ぶ馬はさほど沢山は無いだろう。
これにて馬を求め乗るように。」
そう、二人の孫に金二十枚づつ与えたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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