岩上角左衛門、松平輝綱を☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

寛永15年2月(1638)島原の乱、

幕府軍の総攻撃により、原城に籠ったキリシタンたちも、
遂にその終焉を迎えようとしていた。
 

と、その時。
知恵伊豆こと、幕府軍の総指揮を取る松平信綱の嫡男、当時19歳の甲斐守輝綱は、
戦闘に参加するため、ただ一騎馬を走らせ城へと向かった。
これを知り信綱は激怒し、家臣の岩上角左衛門を呼んで、

「輝綱をすぐに止めてくるように!」
と命ずる。
 

岩上は直ぐ様馬に飛び乗り輝綱の後を追い、

遂に追いつくと彼の馬の前に立ちふさがり、
輝綱に向かって叫んだ。

「伊豆守様よりのお言葉を伝え申す!

『伊豆守は将軍家の御代官としてこの地に来たのであって、

諸軍と功を争ってはならないと、
家中の者たちにも固く命じていたところである!

ましてその長男がその様に抜け駆けし、
先陣を争うなどあり得べきことではない!
その行為をすぐに辞めるように!』

以上でござる!」

と、輝綱の馬の頭を取って本陣に帰らせようとした。
 

しかし輝綱19歳、血気盛んであり、

また、幼少より武芸に秀で、後に武士の手本とまで呼ばれた人物である。

岩上の言うことも聞かず再び戦場に向けて馬を走らせようとした。

ここで岩上角左衛門、兜を脱ぎ捨て輝綱の前に自分の首を差し出した!

 

そして、

「それがしの首を取らねば、戦に出ることかないませぬぞ!
さあ、速やかにこの首を刎ね、その後で思い通りになされませい!」

睨み合う輝綱と岩上角左衛門。

 

が、輝綱遂に馬の首を返し、一鞭当てて本陣へと戻っていった。


後々、松平輝綱は事あるごとに、
「私に戦の高名がないのは、全部岩上のせいだ!」
と恨み言を言ったという。

そしてその上で必ずこう付け加えた。
「でもな、主人を諌めるって言うのは、あのくらいじゃないと駄目なんだ。」

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 知恵伊豆、松平信綱

 

 

 

ごきげんよう!