聞いたこと見たこと、何であってもよく覚えて忘れないというのは、
その身の徳であり、第一の宝である。
見ても覚えず、学問・講習の筋を習っても、忘れ果てては何の役に立つだろうか?
人と近付きになっても、一度ばかりではその名前も顔も覚えられない、という例は多い。
記憶力が強いというのは、人の羨むことである。
青山伯耆守忠俊は、記憶力に非常に優れ、
旗本・小身の輩まで、一度その名を聞きその顔を見れば能く覚えて、
再び会った時には、必ずその名を呼んで挨拶をした。
その様であったので青山も自分の物覚えの良さを自慢していたが、ある会合において、
一座のものから青山に、
「真似ようとしても出来ないことだ。有り体に言って中々及ばないことです。」
と声をかけられると、青山これに対し、
「だいたい物覚えなどというものは、努力次第でどうにか成る事ですよ。」
と言い出した。
これを聞いて同席・末座の人々、口をそろえて、
「稽古によって出来る事なら、是非習いたい!」
と、その答えを所望すると、青山は笑いながら、
「意地がキレイか、意地が汚いかという事です。」
という。
一座の人々困惑し、「そう言われても、全く理解できない。」と言えば青山、
「されば、である。
あなた達も、御三家・国持大名などの顔名前はきっと覚えているでしょう?
しかし小身の者たちに対しては侮っているから、その名も知りません。
私は末々まで、人であることに替わりはないと、
平等に考えているので、能く覚えるのです。」
この言葉に一座のもの、皆感じ入った様子であった。
と、この場の遙か末座に、未だ無官の、若き日の知恵伊豆、松平伊豆守信綱があった。
彼は一人、青山の答えに感心した様子も見せずに嘯いていた。
青山はこの信綱の様子をいち早く見て取り、彼の方を見て声をかけた。
「どうした! そこに居る小癪仁は、どう思うのか!?」
これに信綱、冷然と、
「…私の考えとは違う了見です。感じ入る所までは行きませんね。」
と言う。
青山、「では、お主の考えを聞きたい!」と、信綱の話を聞く姿勢を見せる。
すると信綱、少し進み出て、
「太陽・月の事はきっと知っておられるでしょう。
では、その他の星の名、星座の名など、
それをすべて覚えていらっしゃいますか?」
青山はこれを聞くと、
「どうやってすべての星の名を究め知ることが出来るだろうか?
天文の家であっても、細かな星は粟三斗分の数ほどもあると言っているが、
それでも尚、具体的な数はわからないのだ。
そうであるものを、どうしてその名を知ることが出来るだろうか?」
この答えに信綱。
「さて、あなたもそうお考えになりますね。
例えば、私のような愚かなものであっても、御三家は勿論、国取り大名も数が少ないので、
日月・五星・二十八宿と同じように、覚えるのが楽です。
しかし小身の衆は天の星の数よりも多いほどですので、どうして覚えられるでしょうか?
伯耆守殿のように、生まれつき記憶力の良い人には、そういったものも覚えられるのでしょう。
あなたがどう申されても、自分の意地の清濁とは関係ないことです。」
これには流石の青山伯耆守忠俊も閉口してしまったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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