徳川家康が、大坂城を攻めた時、本多忠朝は家康の仰せを受けて向かったところ、
川が前方に流れていて水は深く、城を攻めるには機会が好ましくなかった。
忠朝がこの事を家康に告げると、家康は機嫌を損ねて、
「お前の父は合戦の時に、山だろうと川だろうと厭わなかった。」
と言った。
忠朝は口惜しく思って、
「討死しよう。」
と思い定めたが、程なく東西が和睦したので、心中穏やかでなかった。
しかし、明くる年の夏に再び戦いとなったので、
忠朝は、
「今度こそ本意を遂げるぞ。」
と思い、戦って死んだという。
忠朝の朗等は主の遺体をもたれかけて家康の御馬の前を過ぎ、
家康はこれを見て涙を流したということである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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