武田家が滅び、家康が新たに駿河を領有した頃の事。
新領地を巡回していた家康は、安倍川の川原で、巨大な鉄の大釜を見つけた。
それは、「人煎り釜」と呼ばれる、人間を中に入れ焼き殺す処刑道具であった。
「信玄の置き土産か。」
家康はそう言った。武田では、この大煎り釜を使った処刑が行われていたのだ。
この残酷な刑はまた、武田領内で法を厳しく守らせる事に、
大いに役に立っていたとのことだった。
「これはよい物を見つけた。後で浜松に運んで置くように。」
駿河の奉行にそう命ずると、家康は帰っていった。
翌日、奉行は多くの人夫をそろえ、この巨大な釜の輸送を始めた。
このことは既に評判になっており、
街道には、多くの人々が見物に群がっていた。
そこに、馬に乗った侍が駆けつけてきた。
本多作左衛門である。
三河で知らぬ者のない戦場で潰したドラ声で、叫んだ。
「その釜を、何処に送る気か!」
「殿の上意により、浜松に送るところです。」
奉行はそう答えた。
「何?上意だと! いやかまわん、わしが命ずる! この釜を砕け!」
作左衛門は人夫たちに勝手に命令を下し始めた。
だが、人夫も奉行も、混乱するばかりで何も出来ない。
「ええい! こうやって砕くのじゃ!」
彼は人夫の一人が持っていた鉄槌を奪うと、大釜に振り下ろした!
しかたなく人夫たちもそれに従い、
30分ほどでそれは、粉々の鉄くずになった。
奉行は青い顔をして家康の元にそれを報告した。
「わしの命をなんと心得ておるのだ!」
家康は激怒した。
作左衛門の処分は明日言い渡す!
大広間に召しだすように!
家臣たちにそう命じた。
作左殿も今度こそ切腹か、追放か、みなそう思った。
そこにおずおずと、駿河の奉行が口を出した、
「作左衛門殿は、殿にこの様に伝えよと。」
『帰って殿に申せ!
釜で煎り殺すような罪人ができるようでは、天下国家を治める事は成り申さず!
そう言って作左衛門が砕いたと!』
翌日。
家康と左右の者たちが撃ちそろう大広間に、作左衛門が召しだされた。
作左衛門は申し開きもせず、ただ押し黙っていた。家康が先に口を開いた。
「わしが、間違っていた。」
「作左衛門、その方が釜を砕いた折の口上、奉行から聞いた。
わしの間違いに気付いてくれた事を、かたじけなく思う。
今後もどうか、そうしてもらいたい。」
なんと許すどころか、家康のほうが作左衛門に謝罪したのだ。
この言葉に、作左衛門は、体を震わしながらこう答えたと云う。
「ありがたき上意をこうむり、面目、見に余り候!」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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