三河柏崎の百姓たちが、とある紛争における判決の非公事(敗訴)を、
不当だと言い立てて裁判で争ったが、
しかし負けてしまった。
この時の町奉行は、あの本多作左衛門重次であった。
百姓たちは敗訴に納得せず、勝訴した側への作左衛門の依怙贔屓であるとして、
方々で悪口を吐き、
あまつさえ落書までしてこの裁判を誹謗した。
本多作左衛門はこれを聞いて、
再びその裁判における公事人(裁判関係者)を呼び出し、
再吟味を行ったが、やはり同じ判決となった。
そこで作左衛門、今度は非公事を言い立てた百姓たちを、全員斬って捨てた。
それから暫くして酒井河内守重忠が、これとほぼ同じような訴訟の奉行となった。
非公事を言い立て敗訴した百姓たちが散々悪口を言っている、とのことを重忠は聞いて、
再び裁判関係者を全員呼び出した。
そこで忠重は全員に対して、その判決に至った理由を順を追って説明し、
非公事を言い立てた者達にも、その理を言い聞かせ、
得心するように理由を説明した上で、悪口をした百姓も、そのままにさし赦した。
この両裁判のことを聞いた徳川家康は、
本多、酒井を呼び出し両人が、
どうしてそのような処分をしたのか理由を聞いた。
本多作左衛門は、
「上を犯すものをそのまま差し置いていては、
秩序の締りが無くなり悪事が募るものです。
ですので毅然としてそう申し付けました。」
と答えた。
酒井河内守重忠は、
「この様な裁判で人を殺してしまえば、
以後奉行人は必ず事あるごとに威を振るい、
驕りが出てしまうものです。」
と答えた。
まさしく両人取り取りの政道である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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→ 鬼作左、本多重次
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