三方が原の戦いで、信玄に徹底的に叩かれた家康は、
焼味噌が尻についたりしつつ、命からがら浜松城に戻った。
が、ここでも問題が持ち上がった。
浜松城には兵糧がほとんどなかったのである。
これでは信玄に一矢報うことも、逃げることもままならない。
家康は腹を決めた。
「私も武士だ。武士は武士らしく、敵中に飛び込んで華々しく散ろう。」
家康の言葉に、城内の士気も上がった。
しかし、ここで本多重次が進み出た。
「殿! 兵糧は重次が用意してございます!」
重次が兵糧を用意していたのだった。
驚く家康が理由を聞くと、
「殿、重次は三河三奉行の一人でございます。
いざというとき兵糧も用意できなければ、奉行の名を辱めます。」
重次の兵糧のおかげで、家康は空城の計を用い、
武田軍を夜襲することに成功するのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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→ 鬼作左、本多重次
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