三河において、壁書の条々を定められた時、
百姓どもはこれを一向に用いなかった。
「如何したものか。」
各々が対策を話し合った時、作左衛門重次はこのように言った。
「土民はいろはですら、しっかりと知らない所に、
硬い文言に古い言葉使いで高札を立てたのだから、
何を言われているのか解らないのだ。
教え方というものがある。私に任せられよ。」
そしていかにもまめに、いろはにて『何々のこと』と書き、
『これを背くと作左が叱る』
と書き加えて出した。
これ以降、国中の者達は法令を背かなくなったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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→ 鬼作左、本多重次
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