謀叛の廻文☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

大御所・徳川秀忠が死去した後、諸大名の元にどこからともなく、
『将軍・家光を殺し、駿河殿(徳川忠長)を新将軍として立て参らせん。』

との内容の書状が廻ってきた。

この時、伊達政宗が最初に家光の元に参り、このような物が来たと申し上げた。
藤堂高虎がそれに続き、その他の大名も皆この事を告げたが、

加藤肥後守忠広父子からは報告がなかった。

また徳川忠長も、この事を知りながら早く報告しようとしなかったため、
彼らは罪を被ることとなった。

実は、この謀は土井利勝より出たものだという。利勝はこう考えた。
『今の世の中、普通の大名が謀反を企てても、誰もそれに組しようとはしないだろうが、
御一門の人々が決断すれば、あるいは組するもののあるだろう。』

そこで秀忠が逝去してから、罪を被った風を装い引き籠もって、

密かにこの廻文を巡らせたのだ。
加藤父子の罪が定まってから、利勝はいつの間にか再び出仕するようになった。

古き人は、私にこのように語った。
「利勝は深い謀のある人で、永き当家の忠臣であった。」
誠にその通りである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 公正さを重んじる、土井利勝

 

 

 

ごきげんよう!