徳川家康麾下の鳥居元忠といえば、三河衆の中でも特に無骨な侍である。
家康が関東に移る少し前のこと、その鳥居元忠が豊臣秀吉に呼ばれた。
元忠に官位を与える、というのだ。
元忠、これを聞いて、
「私は無骨な田舎者にて、この身もまた、このように片端であります。」
と、諏訪原城攻めで銃弾に貫かれたため、まともに動かなくなった左足をさすった。
そして、
「こんな体たらくですので、叙爵などしていただいても殿下のお役には立ちません。
どうぞその件は、御免下されませ。」
と、断った。
だが秀吉は、そんな鳥居元忠を強く気に入ったらしい。
少し後で再び元忠を呼び寄せ、こう提案した。
「彦右衛門尉(元忠)よ、おぬしの嫡子・新太郎を、
羽柴下総守(滝川雄利)の娘(養女・生駒家長娘)と縁組させ、
その養子とするのだ。
その上でわしが召し使おう。」
滝川雄利は羽柴性を頂いた秀吉の直臣大名である。
その娘を、陪臣に過ぎぬ元忠の息子に娶せ、
天下人たる秀吉の直参としようと言うのだ。
大変な栄誉であり出世であろう。
が、これにも元忠、
「我が愚息をもって下総守殿の息女と縁組せるということ、これは仰せに従いましょう。
…ですが、その息子を殿下に召し仕えさせるということ、これはお断り申す!
この元忠の家は、先祖以来徳川譜代相伝の家従の者であり、
それは子孫へと伝えていくものです。
他家に奉公仕る事の出来るものではありませぬ!」
結婚は認めるが秀吉に仕えさせるのは御免被る、というのだ。
半ば秀吉の顔を潰すも同様である。しかし秀吉、
「鳥居が申すところ、道理である。」
とあっさりその条件を認め、滝川雄利の娘を鳥居新太郎(忠政)に娶らせた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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