青山伯耆守忠俊は、三代将軍家光の老中であった。
ある時、将軍自ら美麗な印籠を求め、忠俊に、
「どうだ? 中々見事なものだろう?」
と、自慢げに見せた。
これを手にとった青山忠俊、
「上様にはなんとなさる!」
激怒。
「御祖父様(家康)は一生のうち、かような印籠を持たれたことはありませぬ!
全て長門の黒塗りでありましたぞ!
そもそも印籠などというものは、薬が入れば用が足りるもの。
上様のご治世未だ間もない折柄、
かような華美なものを、
ご自身が好まれれば、皆がこれに習いまする!」
と、この印籠を庭石に向かって投げつけた!
それでも未だ怒りが収まらなかったか、そのまま庭に出てこれを足蹴にし踏み砕いた!
全て家光の目の前、他の家臣たちもいる前での出来事である。
当然ながら家光はこれに激怒し、
即座に所領召し上げを命じたが、忠俊は、
「こんな事もあろうとは、かねてより覚悟!」
と、嫡男の宗俊を伴い、相模藤沢に蟄居した。
これに対し家光は、
「罪をなしたのは忠俊であって、子息には何ら罪はない。従前通り出仕するよう。」
と、宗俊に戻ってくるよう伝えたのだが、
「父が勘気を受けたのに、子供だけがどうして栄えられましょうか!」
そう言って出仕しようとはしなかった。
後に家光は大いに後悔し、忠俊に対して再三出仕するように命じたのだが、
ついに出仕することはなく、
蟄居のまま一生を終えた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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