家光、上洛の折、大井川を渡る時。
徳川忠長は、その川に浮橋を渡した。
その往来は、やすらかで平地のようであったため、身分の高い者も低い者も、
こぞって忠長の巧智に感心した。
ところが、家光は、その橋に臨むと、にわかに表情を変えて、
「箱根大井は、海道第一の険要にして、関東を隔てているのだと、
神祖(家康)も大御所(秀忠)も、常に仰せられた場所である。
それなのに、このような浮橋を設けて、往来を自由にさせるのは、
あってはならないことである!」
と、甚だ憤った。
後年に至り、忠長が罪を蒙ったのも、この時の事より起こったということである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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