家光が、将軍宣下の時、全国の大名を江戸城内に呼び寄せ、
その場にて、家光は、異例の宣戦布告を行った。
「祖父や父は、貴兄等と同属や盟友となった時期があったかもしれぬ、
しかしながら、余は生まれながらの将軍である。
これに不服があれば、今すぐ国許へ帰り弓矢を取るがよい。
我が徳川800万石、自らお相手致そう。」
異例の文言であった。
その場にて、貴台の名将・伊達政宗が、口を挟む。
「あいや待たれよ、そのような輩は、将軍家のお手を煩わす訳には参らぬ。
伊達40万石が陣頭に立ち、成敗してくれよう。」
これを皮切りに全国の大名が、我も我もと続いた。
これは伊達政宗の策略だとか、講談の話だとか色々と議論はつきないが、
事実はどうにせよ、そういう話は今も残っている。
これより応仁の乱より150年に渡り続いた戦国時代は終わった。
幾多の犠牲や策略や戦争、それらが支配する時代は、
江戸城内の一喝によって終焉したのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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