今はあまり行われなくなりましたが、昔は非常に大事にされた伝統の一つに、
亥猪(いのこ)の祝い、と言う物がありました。
これは陰暦10月の亥の日、亥猪餅と言う餅を食べ、
万病を防ぎ、子孫繁栄を祈るという行事であります。
徳川幕府においてもこの日、江戸にある大名、旗本はみな登城し、
将軍お手づから餅を下される事になっておりました。
当然、彦左衛門も登城し、餅を頂く順番を待っていたのでございますが、
彦左殿、何故かこの時、自分の順番になっても、
将軍から遥か隔たった場所から動きません。
係りの者が、
「彦左衛門、御上壇まで進み候へ!」
と促すのですが、彦左衛門は聞こえなかったかのように平伏したまま。
これに家光公、
「彦左衛門も年老いて、耳が遠くなったのであろうか?」
と思い、餅を彦左衛門の傍まで投げよこしました。
ところが、家光が餅を投げた瞬間に彦左衛門、やおら立ち上がり上壇の際まで進み、
頭を下げ上様の前で両手を上げて畏まりました。
そこで家光公、こんどこそ手づから彦左衛門の手に、紅白の餅を下されたのです。
そうして彦左衛門、下がる途中で先ほど投げられた餅を拾い、
上様に御礼申し上げ御前を退きます。
さて、下がった先の溜り場には、先に下がった旗本諸侯が集まり、
色々と雑談などをしております。
そこに現れた彦左衛門、両手それぞれに二つの餅を高らかに掲げ、
「どうじゃ! 亥猪の餅を二重ね頂戴いたしたのは、我一人であるぞ!」
と、見せびらかし、大いに自慢をいたしたということです。
ちょっとした策略で、御餅を見事二重取りし、諸侯達に見せびらかす。
一体これが自慢になる事なのかどうかはともかく、
老いて直矍鑠たる老勇士、彦左衛門さんでありました。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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